CEOの戯言

 だれがCEOやねん!なんやねんこのカラフルな枠は!と言う質問はこの際却下するとして(コラ) まぁ私ことHARTは、一応このソフトの企画・原案・イラスト・その他諸々処務担当をしました。 CEOとまでは行かなくても「言い出しっぺ」くらいは名乗れるかと思います。

 以前出した「お兄ちゃんと一緒」でもそうなのですが、私が何かを作る際には ある程度既存の何かに対する嫌悪感や反面教師にしつつ考案するもので 今回も「癒し系」と言う、まぁこれを公開する頃にはかなり下火になっている ムーブメントに何となく違和感を感じて作たくなったのです。

 そもそも世間で言う所の「癒し系」と言うのはこちらの行動に関わらず 更に言えば「癒し系」の主である「癒す側」には「癒す意思」と言う物が無い事も多く そこにはただただ「癒させようとする第三者の意図」だけが露出している『商品』であることが多々ありました。

 それであれば、私は無闇矢鱈にばらまく「癒し」ではなく 労苦の対価(?)としての「労い」が必要ではないのか?と このアプリを考えるに至りました……………と言うのは割と後付けですけど(汗) 実際はもっと安易な「癒し系は沢山有るけど、労い系はないなぁ」と言う事で ニッチ狙いが大好きな私はその辺の何かを作ろうと思った程度だったりします。

 さらにそこで私の大好きな味付けである「自然さ・さりげなさ・適切な主張度合い」と言う物が加えられます。 何分、昨今のメディアは露出や主張が背脂ギトギトの豚骨ラーメンの如く、これでもかと言うほどに加えられて いい加減気持ちの成人病になりかねないくらいなので、ここは昆布とシイタケの出汁に 根野菜で更なるコクを広げるようなナチュラルさを届けたくなったわけです(意味不明)

 ご協力頂いた声優さんにも、かなり強引に喋らせましたが(笑) このアプリに出てくる女性達には名前が付いていません。 裏設定で名前がある…訳でもなく、私の構想段階でも、制作段階でも 名前が付いたことは一度もありません。 今でも「誰々さん」と言う個人名はなく制作時は「ちっちゃ子さん」「つり目っ子さん」「大人っ子さん」と言う かなり適当な呼び方をしていました(笑)

 私は「特定の人格(キャラクター)に何度も労われると必ず飽きるだろう」と言う 傾向を確信に近いほど信じていました。 そこには「労う」と言う行為よりも前に「キャラクター」と言う主張が強すぎて 「労う事」が薄まってしまうと言う事が想定されるからです。 なので「ねぎねぎっ」では極力キャラクター性、特に文言によるキャラクター性 性格や年齢、生まれや環境の違い等を明記しないように心がけ アプリを使う場合は「声と絵のみ」の情報だけを受け取ってもらうようにしました。
※この特設ページでは、ある程度アプリを使ってもらった後と言う事で
各労いっ子さんのサイドストーリー的な物を用意しました。
こうすることで「『誰が』労う」と言う事ではなく「『誰かが』労ってくれている」と言う理想に 近づいたことだと思います。

 こうすることで解るのは、皮肉なことに「キャラクター性を薄めることによって、 人間性(とそれに付随して人間性を感じやすくなる事が)が増す」と言う事です。 こういった制作をする人にある基本的な誤解の中に「キャラクター性=人間性」があります。 世間で作られたキャラクターと言う物はある程度パターン化されていますが 人間性という物は逆に全員似ているようで実は千差万別です。 人間性も特定のパターンに分けようと思えば分けられますが あくまで幾つかのベクトルの分布を区分けしただけで 「大体こういう傾向」と言う分け方が限界で、ただそれだけの話です。 キャラクターのパターン化とは別次元でしょう。

 このアプリは、まぁそこまで緻密に作り込まれたわけではなく 逆にアバウトに作り込んだ上でのランダムな傾向の可能性を期待しているくらいです(笑) 実際、私の拙い絵にイサキさん・黒咲さゆさん・夜乃涼さん(あいうえお順)の各声優さん達は私のとりとめのない指示を受け 様々な表現をしてもらい、プログラムを担当してもらったYK^2氏には 最適なアプリの枠組みを作ってもらい、本当に有り難い限りです。

このアプリを使ってくれた人に労いが伝わるように。

ありがとうございました。

とりあえずの言い出しっぺ HART



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